第2期制作モザイク 詳細 Data
1965年(昭和40年)制作施行 53m2
◎ 材 料
● 岩城硝子株式会社により、1931年制作に使用されたのドイツ製モザイクチップ
ズマルトタイプを模し、新たに日本製のズマルトタイプガラスチップを製造
通説として、銀座ライオンビアホールに有る菅原栄蔵作の1934年制作が
日本最古のモザイクと言われているが、第1期モザイクが1931年に制作されており
ライオンビアホールのモザイクは、国内で初のガラスチップ製造により制作されている為
情報の錯綜により、ライオンビアホールの物が最古と言われる様になった物と思われる
 本材料を製造する以前、岩城硝子は型押しのガラスチップ テッセラタイプ
・スムースタイプのみ製造した為、下記写真、ズマルトタイプ用のガラス原板を
効率的にピースに加工する道具が存在しなかった。
小柴硝子工芸研究所(後述)が、近隣の金型工場船「倉金型」の協力を得、
下記写真のガラス用シャーリング(切断機)を開発
 その後、本材料は「近三型」と称され、本材料使用にて少数では有るが
数点の壁画作品が制作された模様
カット前のガラス原板 約φ230 t8
カット後のピース(割肌を使用)
ガラスカッター
ガラス用シャーリング
第一段階として上記原板を短冊状にカット
短冊状にカットした物を上下の刃でハサミ
(通常ステンドグラス制作のカットに用いられる)
上記の様な細かなピースを造る
◎ 制 作
小柴硝子工芸研究所にて、
田中啓介氏をチーフとし、井上博史氏、その他数名のスタッフにより制作
紙張り制作
ガラスモザイカ販売株式会社制作の記述書物も一部有るが1969年社名変更に成る為、
1965年にはまだ小柴硝子工芸研究所であり、正確には小柴硝子工芸研究所制作に成る
◎ デザイン
1931年制作のモザイク、奥村新太郎氏のデザインを模した事は間違いないが、
多少簡略化されており、旧小柴硝子工芸研究所、小柴士朗・井上博史両氏共、
デザインを起こした人物は記憶に無いとの談から、
推測するに、村野・森建築事務所スタッフの手によるデザインでは無いかと思われる
◎ 施 工
小柴硝子工芸研究所にて、
田中啓介氏のモザイク施工指導のもと、タイル職人により施工(井上博史氏推測談)
モルタル圧着 目地入れ施工
* 小柴硝子工芸研究所
1957年 小柴外一氏、岩城硝子株式会社退社後 小柴硝子工芸研究設立(所長小柴浩一 )
1969年 ガラスモザイカ販売株へ社名変更と共に株式会社へ
2000年 制作部門終了と共に営業部門を横浜市に移転
2007年 GMT株式会社へ社名変更
* 人 物
小柴 士朗
岩城硝工芸部に在籍していた小柴外一氏(パートドヴェール復刻者)次男であり、
小柴硝子研究所所長 小柴浩一氏の弟、旧ガラスモザイカ販売株式会社 社長
田中 啓介
1965年当時 小柴硝子工芸研究所員 退職後、モザイクスタジオK主催(没年2008)
井上 博史
1965年当時 小柴硝子工芸研究所員 退職後、四月工房主催 現在同工房 川崎市にて主催
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